どんなに有益と思われるものでも、どんなに頼りになる考えや知識を授けてくれる人であっても、そこに依存し続けることは極めて危険。
神格化とか宗教化、盲目的というワードで語られる、これらの危うさをいかに回避するかが、これからの時代問われていきそうです。
というのは、近頃流行りのインフルエンサー。 YOUTUBEを筆頭に、ネットを中心とした自己表現ツールによるいわゆる発信者の増大で、有名人のみならず一般の人がいきなり信奉者を集める事例が珍しくなくなってきました。
そう言った人達の一挙手一投足が多くの人達に影響を与え、その言葉もまた世論をうごかすほとの影響力を持つ。 それがまた新しいインフルエンサーを生み、その数は増える一方です。
インフルエンサーというのは、活動の結果そうなっていくものだとおもうのですが、なかには自分で自分のことをインフルエンサーと呼ぶ人もいますね。それがいいのか、はたまた痛いのか、はわかりませんが。
とにかくあらゆる分野で、人から注目されてインフルエンサー的な発信者となった人を見ていますと、時間が経つにつれて自己啓発的な内容の話をし出すようになります。
考え方、生き方、自己啓発といった内容は、どんな分野にでも関わってきます。人がすることなのですから。こういう風に取り組もう、スランプの時はこういう考え方で克服できる、などといった話から、どうしても考え方の話になりますよね。
そういった話は、何か根拠がある、科学的に証明されている、という話もあるでしょうし、インフルエンサー自身の体験に基づく話もあるでしょう。その話を周りは受け入れ、信じ込み、アドバイスを求めますね。インフルエンサーが言うことですから間違いないだろう、と。もしくは多少自分とは異なると思っても、まあそういう考えもあるだろうと自分を納得させたがるものです。
心理学的な話ですが、人は自分が信奉するインフルエンサーの言うことは全て正しいものだと思いたがるものです。もし疑う部分があるのなら、インフルエンサーのどこを信じてどこを疑えばよいのかわからないからです。そんな判断がつかないから、インフルエンサーに頼るのですからね。
そんな理屈によって、周りが自分の言うことを受け入れるようになると、インフルエンサーはどんどん調子に乗って語ります。自分の言うことをフンフンと反論せずに聞いてくれる人たちが増えると気持ちいい。
それは多分、全ての人間がもつ性なのでしょう。他人に自分の意見を聞いて欲しい。そしてそこから自分の意見を受け入れてほしい。それがエスカレートすると、自分に従わせたいとなり、やがてイエスマンしか認めなくなる。
ところが本人にその自覚はありません。自分は幅広く受け入れてるのだと。自分でも気づかないまま、おかしくなっていく人もいるでしょう。
そんな人にいつまでもついていってはいけません。役に立つ情報を得たら、さっさと離れることです。そして場合によっては、遠くから様子をチェックするぐらいならいいかもしれません。元々の分野での役に立つ話をたまにするかもしれませんので。
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